|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 瀬 : [せ] 【名詞】 1. current 2. torrent 3. rapids 4. shallows 5. shoal ・ 藤 : [ふじ] 【名詞】 1. wisteria ・ 沢 : [さわ] 【名詞】 1. (1) swamp 2. marsh 3. (2) mountain stream 4. valley 5. dale ・ 市 : [し] 1. (n-suf) city
片瀬(かたせ)とは、神奈川県藤沢市の南東部を指す地名である。1889年まで片瀬村と呼ばれた大字、または1947年までは鎌倉郡に属していた片瀬町で、現在は藤沢市の13ある行政地区のひとつとして片瀬市民センターが行政を分担している片瀬地区、あるいは片瀬地区の中の中心部をなす住居表示上の呼称としての片瀬という範囲の異なる3つの概念が並行して用いられている。 片瀬地区のうち江の島は、別項で詳述されているので、本項では片瀬地区のうち原則として江の島を除く範囲、すなわち旧大字の片瀬について述べる。 == 地理 == === 位置と範囲 === 旧大字の片瀬は、近世以来の片瀬村の範囲とほぼ重なる。片瀬川(古くは固瀬川)と呼ばれる境川下流部以東の地域で、鎌倉郡に属していた。現在の片瀬海岸三丁目と鵠沼海岸一丁目との境界線は、道路に沿った人為境界線に見えるが、江戸時代後期の絵地図を見ると、この位置に片瀬川が流れており、引地川は海岸砂丘に阻まれて、直接海に出ず、片瀬川河口近くに流入する支流として描かれているものがある。北西部の高座郡鵠沼村との境界線は、現在の流路より西側に大きく屈曲している部分が見られ、1965年(昭和40年)の住居表示制定まで片瀬地区と鵠沼地区との境界線になっていた。この屈曲は片瀬川の曲流に基づく自然境界と思われる。北東部は地元で片瀬山と総称する丘陵の稜線で鎌倉郡村岡村と接し、南東部は鎌倉郡津村および腰越村と接するが、かなり不明確な人為境界線で、江戸時代には数度の境界線争いが記録されている。南西部は相模湾で、陸繋砂嘴により江島村と結ばれていた。現在の片瀬地区は、西を鵠沼地区、北東を村岡地区、南東を鎌倉市腰越地区と接する。 旧片瀬村と旧江島村との関係を整理すると、次のような経緯がある。 * 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、片瀬村と江島村が合併し川口村となる。 * 1933年(昭和8年)4月1日 - 川口村が町制施行し片瀬町となる。 * 1947年(昭和22年)4月1日 - 鎌倉郡片瀬町、藤沢市へ編入合併される。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片瀬 (藤沢市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|